2015.11.30
働いたり、住んでいるのに実は知らない松本を知ろう!という企画の第2弾。
長野県や市の職員の人と一緒に、JAMデザインも地域のメンバーとして参加しています。
今回はボランティアガイドさんの案内で、松本城や松本城北側の武家町、旧開智学校、旧司祭館の歴史を巡りました。
天守が国宝に指定され、観光地としても有名な松本城。その右側に見えるのが月見やぐら。
現存するお城の中で、月見櫓と天守と一体となった造りとなっているのは、松本城だけのようです。
松本城主の松平直政によって、善光寺の御開帳に参拝する三代将軍家光を迎えるために急遽増築されました。実際は中山道のがけ崩れにより善光寺参拝が中止となり、家光公が来ることは無かったそう。
また城の塀や櫓などにある小窓のような穴は『狭間』といい、この穴から外の様子を窺ったり、敵に対して矢を射ったり、鉄砲を撃ったりする攻撃のための重要なものだったそうです。短い方が鉄砲狭間、長い方が矢狭間。
お城周辺は元々沼地だったため、他の城に比べ石垣は高く積み上げていません。
積み方は野面積み(のづらづみ)と言うそうです。
この赤い橋も昔は無く、昔は舟で行き来をしていました。
穏やかな休日。おじいちゃんとおばあちゃんが休憩中です。
こちらは明治初期に建てられた重要文化財の旧開智学校。
文明開化時代の小学校建築を代表する建物として広く知られています。
いかにも文明開化の音がしてきそう。
昭和中ごろまで女鳥羽川沿いに有ったというのが驚きです。
正面の門は、下段に龍、中断に雲、上段に天使が飾られ『登竜門』と呼ばれています。
中に入ると、当時の面影が残されています。
こちらは明治に建てられた県宝の西洋建築の旧司祭館。旧開智学校の横にあります。
フランス人神父のクレマンさんの宣教師用住居として建築されたそうです。
松本城内にありましたが割と最近こちらに引っ越してきました。
日本初の日仏辞典がここで編集されました。全ての部屋に暖炉があるのが松本市の寒さを感じさせます。
外壁は最近塗り直されましたが、前と少し色が変わってしまったそうです。
ときの松本城主の水野氏が三河から運んで安置しました。
この地蔵の首を借りていって祈願すると子どもの病が治るというので、首は方々へ借りられていったそうです。だから首貸せ地蔵。たまに返ってこないことも。
確かに首と胴体が分かれています。
高橋家住宅は松本市内に現存する数少ない武家住宅のひとつで武家屋敷としては長野県内最古級。松本市の重要文化財です。
その佇まいは、江戸時代の城下町松本の雰囲気を伝えてくれます。
中に入ると、当時の武士の生活の息づかいが伝わってきそうです。
そしてまちの人たちに馴染みの薄いこの場所ですが、多くの外国人観光客も訪れるスポットになっています。
普段、松本市に住み仕事をしていますが改めて沢山の魅力を知る事ができました。
この街にはまだまだ沢山の魅力があります。
今後も松本の魅力に出会っていきたいと思います。